不登校は不幸じゃないって簡単には言えません

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不登校・引きこもり専門カウンセラー
カウンセリングルームはぴっとの田中勝悟です。

最近、ゆたぽんというユーチューバーが「不登校は不幸じゃない」って動画配信していて、物議を醸しだしていますね。

こちらのブログにも書かせていただきましたが、「不登校は不幸じゃない」とは簡単には言えないのではないかと個人的には思っています。

その理由について、私個人の意見をここでもまとめさせていただきたいと思います。

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不登校になると多くのハンディキャップを生む

まず、忘れてはいけないことですが、不登校になるだけでかなりのハンディキャップを生んでしまうという事実が存在するということです。

もちろん、不登校になって社長やアーティストとして成功している人はたくさんいます。

しかし、その裏では多くの人が働くのにも苦労しているという事実があるということは大人は知っておく必要があります。

例えば、高校に行かなかったら、その時点で普通の会社に就職することは困難です。

高卒と大卒の給料の差はかなり大きいというのも事実ですし、資格がなければ望んでいる仕事に就くことはできません。

「学校に行く必要は何か!?」と問われると、私は「将来の選択肢を増やすため」だと思います。

「不登校が幸せだ」といえるのは、そのことに悩んだからこそ

「不登校になって幸せだった」と語る人はたくさんいますが、それはその分だけ悩んだからこそだといえます。

子どもが不登校になれば、親としては大いに悩みます。

そして、子ども自身もかなり苦しみます。

「なんでこんなに苦しまなければいけなかったんだ」
「生まれてくるんじゃなかった」

不登校の子どもにしっかりと向き合ったお父さん・お母さんであれば、必ずと言っていいくらい子どもが親に言う言葉です。

そういうことを語る子どもたちに対して「そんなことないよ」「いつか幸せになるよ」なんて簡単には言えません。

一緒に苦しんで、その中で進む道を探すしか他はないのです。

不登校の子どもたちは「生きることがどれほど苦しいことか」を大人以上にわかっています。

だからこそ、どうしていいかわからないのです。

苦しみは自分を磨くための砥石

苦しいということは自分を磨くための砥石です。

しかし、不登校の子どもはその砥石がやすりのように感じてしまいます。

それが不登校の繊細さというものです。

少しずつ砥石で磨かれていくことで、自分自身を大きく成長させます。

その時に、子どもは「頑張ってみよう」と思い、外に出る決意をするのです。

そこまでいけば、「不登校になってよかった」と子ども自身も思うでしょう。

しかし、そこまで行くのには想像以上の苦しみが伴います。

だからこそ、ゆたぽんのように簡単に「不登校は不幸じゃない」と言い切るのには、かなり違和感を覚えます。

もちろん、この言葉に救われた方もいると思います。

ただ、私個人の思いとしては「不登校は不幸じゃないとは簡単に言い切れないのではないか」というのが非常に強いのです。

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不登校になるということはかなり勇気がいること

ここで、一つ押さえておきたいことは、「学校に行かない」ということは実はかなり勇気がいることなのです。

だから、多くの子どもたちは、腹痛や頭痛といった身体症状を引き起こすまで頑張って学校に行き続けます。

それは、私たちの上質世界に「学校に行くことは一番良いことだ」というのがインプットされているためです。

しかし、心の中では学校という雰囲気になかなか合わず、どんどんと「なんか違う」というモヤモヤのみが出てきます。

そのモヤモヤがたまっていき、限界を超えたときに、身体症状や精神症状が現れ、「学校に行けない」という選択になるのです。

それでも、不登校の子どもたちの多くは学校にいけない自分を責め続けます。

また、将来も不安です。

子どもたちの多くは「学校に行かない」んじゃなくて、「学校に行けない」のです。

その中で、「学校に行かない」と決めることは非常に勇気がいること。

レールから外れたところで、新しい選択肢を開拓するということはかなり大変なことだと思います。

不登校は不幸だとも、不幸じゃないとも簡単に言えません。

しかし、その中で、何かしら意味を見つけることにその意義があるのではないかと思います。

次回配信のメルマガで、もう少しこの問題に触れたいと思います。

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